沿革

全国大型自動車整備工場経営協議会(通称;全大協)の活動

全国大型自動車整備工場経営協議会の活動をご紹介するにあたりまして、日本のモータリゼーションの変遷と全大協の歴史を 振り返ってみます。 世界のモータリゼーションは、1880年ベンツがガソリン車を製造したことに始まります。 1908年にアメリカではT型フォードが発売され、イランで中東初の油田も発見された年でもあり、この年はこれから始まる モータリゼーションの発展を予兆させる記念すべき年であったと思います。 1912年日本のモータリゼーションは、T型フォードの発売から4年後の大正元年田健次郎(D)・青山禄朗(A)・竹内明太郎(T)が 出資し、快進社自動車工場を設立。橋本増次郎が車輪・タイヤ・プラグ・ベアリング以外すべて国産のダット(DAT)1号を 製造したことに始まります。 この年、豪華客船タイタニック号が沈没し、スウェーデン・ストックホルムオリンピックが開催されました。日本では新橋と上野に 地下鉄も開通し、T型フォードのタクシーが登場した年です。大阪では新世界が完成し、通天閣が新名所になっていました。 トラックの歴史は、1916年石川島播磨造船所が自動車製造を企画、1918年に英国ウーズレー社と提携し、車両の販売権と 製造権を取得しました。 1936年伊勢神宮の五十鈴川にちなんで命名された「いすゞ」が空冷式ヂーゼルエンジンDA4型・DA6型を完成させました。 1938年(昭和13年)「いすゞ」がついに国産初のTX40型トラックを完成させました。同年に「三菱ふそう」もY6100AD型 ヂーゼルエンジンを完成させました。 1941年「三菱ふそう」がYB40型2Tトラックを製造します。 アメリカでチャップリンの映画モダンタイムスが公開され、日本では日劇ダンシングチームが初公演、初の職業野球の試合が開催され、 浅草~新橋間の地下鉄が開通しました。2.26事件が勃発した年でもありました。 1942年「日野自動車」は、ヂーゼル自動車工業の日野製造所が独立して、日野重工業を設立しましたが、国策により戦車の 製造を始めます。 1946年「日野自動車」は、第2次世界大戦終戦後民需に転換し、日野産業に改名してトラック・バスの製造を始めることになります。 1950年に「日産ヂーゼル」の前身、民生ヂーゼルがダットサントラック4146型を製造し、国産トラックメーカーが4社体制になりました。 1950年代は戦後の混乱期の中、夜来香やイヨマンテの夜、東京キッドや買物ブギなどの流行歌が巷に溢れ、日本で初めての ミスコンテストが始まり、山本富士子が第1回ミス日本に選ばれました。 そして朝鮮戦争が思わぬ特需を生み、戦後の復興を目指す日本が景気の上昇気流に乗った時期でした。 1954年には映画・ゴジラが公開され、アメリカではエルビスプレスリーが一世を風靡。 1955年にはトヨペットクラウンも発売されました。 1957年までは神武景気と言われる好景気が続き、高度経済成長の始まりのイケイケムードの時代でした。 1958年には、長嶋選手がプロ野球に華々しくデビューし、東京タワーも完成、首都高速道路の建設も進められ東京の街の景色が 大きく変化し始めた年でした。 1960年には東京オリンピックの準備や黒部ダムの建設などで大量の物流や重量物の運搬が必需となり、いすず自動車は TX型ボンネットトラック、三菱ふそう自動車はT330型ボンネットトラック、日野自動車は積載重量が13.5Tの国産初の ZG13型キャブオーバー重ダンプ、UDトラックは6TW型ボンネットトラック等など、各メーカーがこぞって大型車を開発し、 本格的なトラック輸送時代の先鞭をつけました。 世界では、アメリカが介入したベトナム戦争が激しさを増すなか、ビートルズが大ブレークし、かたや反戦を主張するヒッピーが 1つの文化ともなりました。 1964年に東京オリンピックが開催されています。混沌の時代でした。街には車両があふれ交通渋滞が日常化、大気汚染も 社会問題となり、天気予報で光化学スモッグ注意報が毎日放送されるようになりました。大気汚染の問題は日本のみならず 世界的な問題で、アメリカでは1962年にガソリン車のCOを数値化した濃度規制が制定され、環境問題の本格的な取り組みが 始まりました。 1970年マスキー(大気清浄)法が施行されました。 1973年にはHCやNOXの数値も規制の対象に加わりました。 その後、1992年にはヨーロッパでユーロ1規制が施行され、段階的に2014年のユーロ6まで厳しい数値目標を立て、各メーカーが 開発競争にしのぎを削りました。 日本では 1966年にガソリン車CO濃度規制に始まりました。 1973年にHC・NoX規制も加えられました。 1978年には世界で最も厳しい排気ガス規制法を制定、 2009年にはポスト新長期規制・ 2018年にはポストポスト新長期規制が施行され、車両の構造が激的に変化していきました。 1973年に中東戦争 1979年のイラン革命によるオイルショックが世界の石油事情を混乱させ、燃費性能の改善目標が各メーカーの大きなファクターにも なりました。 1972年に田中内閣が誕生し、日本列島改造計画の中、日本中に高速道路網と新幹線網がみるみる張り巡らされていきます。 大型トラックも各メーカー積載面積の取りやすいキャブオーバートラックが主流になり、物流におけるトラックの役割が 益々増えていきました。 1950年の神武景気以降、トラック輸送の需要に伴い急速にその台数を増していき、それと比例して車の損傷や事故など、 負の側面も確実に増えていきます。 車両保有者は事故時の金銭的なリスク負担を軽減するため対人・対物・車両保険の加入が一般的になりました。 車両の大型化と目覚ましい技術開発により、精度の高い修理技術も要求されるようになりました。 1957年、大型修理業界は世の中の要求に応えるため、アメリカから「BEARフレーム修正機」を輸入しました。 事故などで損傷したトラックのベースであるメーンフレーム修正の正確を期すため、昭和32年全国各地の大型自動車修理工場 10数社が導入しました。 その10数社が修正機の使用研究・技術向上を図るためBEAR会を結成しました。 1979年(昭和54年)4月20日、岩崎自動車・岩崎貫一氏を初代会長として、日本全国から大型自動車の車体整備・架装を 専業とする31社の代表が集結し、「全国大型自動車整備工場経営協議会」(通称;全大協)として会を設立させました。 同年、東京鉄道会館ルビーホールにて創立総会を開催しました。 全大協は『全国大型自動車整備工場経営協議会は、大型自動車の整備を通じて「物流・運輸資源としての大型自動車」を 効率的に稼働させることにより、国内環境の保護と地域経済の活性化を担うことを理念としています。 目的において、現代は「情報過多の中の情報不足」の時代であり、地域社会に埋没しがちである自動車整備業を活性化する ために「情報の共有」、「技術の相互研鑽」、「新技術の開発」を促進するために全国的な組織として当会を結成した。 海外活動を通じ、国内で未聞の情報収集や親善交流にも積極的に活動を行い、「グローバルなローカリゼーション」を目指す。 活動を通じて、会員は自らの経営基盤の確立と向上を行い、社会から信頼される企業体としての努力を永続するものである。 の理念のもと活動を継続しています。 主な活動として、富山県・ワタヤ自動車の綿谷社長を中心に、いままでそれぞれの地域における作業工数を「中型車・大型車標準 作業時間参考資料」として、会発足年の12月に出版しました。 1986年(昭和61年)世界最新の技術・設備・工具を求めて、アメリカ・サンフランシスコ国際トラックショーとベイエリアの各工場 視察の研修会を皮切りに、年1回の海外視察の研修会を重ねて参りました。 パリ・エキュップオート展、オランダ・ドイツの整備工場や架装工場、ベンツトラック組立工場、フランクフルトのアウトメカニカ展、 カナダのチャート社、イタリアのサイコ社、ハノーバーモーターショー等々、海外のトラック事業の事情を目の当たりにし、世界の設備や 工具、塗装ブースなど工場経営の効率化などおおいに参考になり、大きな収穫がありました。 1994年に行ったスカンジナビア研修では、スウェーデンのボルボ工場を見学し、それが縁で日本ボルボとのディーラー契約をした工場も 数社ありました。 別の活動では、職能別研修会として、経営者・幹部社員・フロントマンを対象に、整備業の経営計画の立て方や受注の目標 管理、過当競争に勝つためのコストダウンや作業時間管理、適正な整備料金や工場管理のあり方など、各社の経営近代化を 推進してきました。 そして現在に至るまでその活動は脈々と受け継がれており、工数委員会のあり方もその中で討議されました。 工数委員会では、会員の経験値による話し合いなどで標準作業時間を決めていましたが、排気ガス適合車や車両コントロールの コンピューター化、キャビンの大型化など車両の急速な変化に伴い、今までの経験値だけでは対処が難しくなってきていると 感じ始めていました。 2017年より、柳沼ボデー工場の柳沼社長を委員長に迎え、全国の会員企業内の選ばれた精鋭で組織されました。今まで会員の 経験値による話し合いで標準作業時間を決めていたものを、コンピューターを駆使し、日本工業規格 JISZ8141:2001を とりいれ、算定資料作りをするようになりました。 具体的に基準を明確にするために、「日本工業規格JISZ8141:2001を基本として整備工場での各作業時間(部品ごとの 主作業時間+準備時間)及び高所作業法令に基づく作業安全、難易度を考慮して算出し、事故車両の復元修理作業に 要する工数を迅速かつ適切に算定する」を基本理念におきました。(詳細は参考資料のまえがきに記載) 12月にトラックメーカー4社の旧工数を網羅した算定資料を後半にいすゞGIGAをイラスト入りの刷新した参考資料を発刊するに至りました。 いすゞGIGAの発刊からは、メーカーごとに名称やイラストがことなり、小型・中型・大型それぞれ電子装置の取り付け位置が異なる さらに、法規制により車両の環境対策や燃費の改善、追突軽減装置など安全装置が随所に設置され、1冊、同ページに小型・ 中型・大型の掲載イラストや取付位置の異なる4社を掲載することが困難になり今後更に電子化が加速度的に進化していく事に 対応するため、小型・中型・大型を別のページに、メーカーごとにそれぞれ検討作成するようになりました。 2019年、1冊で1社を掲載する参考資料、日野自動車編より小型・中型・大型を発刊しました。 2020年には三菱ふそう編を発刊しました。 2021年にはいすず・UD編を発刊する予定です。 車両は今後更に0エミッションの追求やCASEの実現に向けて進化をし続けます。 我々全大協のメンバーは、設立理念に基づき「物流・運輸資源としての大型自動車を効率的に稼働させることにより、国内環境の 保護と地域経済の活性化を担うため」、人員の育成・新技術の習得・必要な設備投資に向けて努力を重ね、変化し続けて参ります。           文責 ; 鹿島旭自動車ボデー㈱ 原 秀雄 (2021年3月)

海外視察研修旅行
全大協設立以来、会の行事の一つとして毎年1回の海外視察研修旅行を続けており、毎回10名前後の会員が参 加し、新しい知識の導入とともに旅行を通じて会員相互の親睦も深めている。旅行先はアメリカ、ヨーロッパのトラックショー、 自動車整備関係機器のショー見学を兼ねて、先進的な整備機器などを備えた工場などの視察を精力的なスケジュー ルで行っている。日車協連がAIRC(車体修理国際会議)に加盟して20年を経過し、日本から副会長、理事などを選出し ていることもあって、AIRCメンバーの工場など一般には公開していない、優れた設備・技術をもつ工場も特別に見学 できるなど、大きな成果をあげている。 この20年間に日本の自動車整備の設備・技術とも飛躍的に向上され、いまでは外国から学ぶことも少なくなりつつ あるが、研修旅行開始以来得るところも多かった。欧米における整備機器を動かすスペース重視型工場レイアウト、駐車 場の設け方、いまでは日本でも珍しくなくなったスポットプル、バキュームカップ、電気鋸などさえも当時は驚きながら見学し にことなどが、いまもメンバーの記憶に焼き付いている。

全大協視察研修海外旅行先

第1回昭和61年(1986)
4月20日〜27日
米国 サンフランシスコ国際トラックショーとベイエリアの各工場

第2回昭和62年(1987) 10月18日〜28日
欧州 パリエキィップオート展とオランダ、ドイツの整備・架装工場視察・ベンツヴェルトのトラック組み立て工場見学

第3回 平成1年(1989) 7月9日〜16日
米国 アナハイム国際トラッキングショーと南カリフォルニアのトラック工場見学・サンデイエゴ ミッチェル社とメキシコ視察

第4回 平成2年(1990) 9月13日〜23日
欧州 フランクフルト アウトメカニカ展とスイス、ベルギーイギリスの各工場見学、バーミンガムキーターショー視察

第5回 平成3年(1991) 8月29日
カナダ バンクーバー、アルバータ、ウイニペグとトロントチャート社見学 マックトラック組み立てラインの見学

第6回 平成4年(1992) 10月17日〜28日
欧州 イタリーポンペイ、ローマ、フィレンツェ、ベニスの各都市とアレッツオ サイコ社視察、ギリシャ訪問

第7回平成5年(1993) 11月29日〜12月6日
米国ダラスNACEショーとAIRC国際会議出席ダラス市のトラックディーラー訪問

第8回 平成6年(1994) 7月1日〜11日
北欧3国とスウェーデン ボルボ社トラック組み立てライン見学

第9回平成8年(1996) 9月14日〜23日
ドイツハノーバーIAA国際商業車展視察とスペイン訪問